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日本語教育の「被害者」を生まないために必要なこと

日本に住む在留外国人は毎年増え続けています。コロナで一時的に減ることはあるかもしれませんが、終息後に行きたい国ランキングではダントツ1位になるほど、日本の魅力は健在です。

政府は、以前にも留学生30万人化計画を進めてきたり、観光事業の拡大など様々な政策を打ち出してきました。

ですが、日本は今、諸外国の人々を受け入れる準備が十分に整っているとは言い難いでしょう。とりわけ「教育」という側面においてです。

この記事の書き手

資格不要

日本語教育は、義務教育課程あるいは専門学校などで、外国語が母語の学生に日本語を教えることです。一般の学校と違うのは、日本語教師には、「教員免許」のようなものが無いことです。

代わりに、日本語教育能力検定試験」への合格が一つの目安になるほか、大学や大学院での「日本語教育専攻」などが教師資格とみなされています。

しかし採用で重要視されるのはどこで何を何年教えてきたか、といった「実績」です。若い教員にはこうした資格を持つ人が多いですが、長年日本語教師として教壇に立っている教員には、いずれの資格も持ち合わせていない人が数多くいます。

多くが定年退職者や主婦などのボランティアで、そうした人たちが今の日本語教育の空気感・土壌を作り上げてきたと言えます。

(出典)平成30年度 国内の日本語教育の概要

問題は「共通前提」の欠如

現状の何が問題かというと「日本語教師」たちの間には、共通認識・前提といったものがほとんど無いことです。

一般の学校で問題が起きた場合、教員は学習要綱、教科の歴史や教育手法という共通の前提をもとに議論します。どの先生も大学で教職課程を経て教員免許を持つため免許取得という基準を満たすだけの“教師リテラシー”があります。

ですが、日本語学校で似た状況が起こったとき、例えば日本語教師が集まって議論するとなると、我々には「現場のあるある」以外では共通のものが見当たらず議論が出来ない、というようなことがしょっちゅう起こるのです。

例えば「学生が互いの出身グループで固まってしまいうちとけられないのをどうするか」という具体的な議題に対して「そうなんですね。うちの学校では…」「大変ですね、うちも…」といった世間話や、“あるある”を挙げ合うだけで、教師同士で共感して有意義な結論には至れないことがあります。

熟練教師の指導を批判するつもりも、教員が「日本語教育能力試験」などの資格を取得するべきとも思いません。

しかしこの問題は、議論に多くの時間を費やし、最悪そのまま放置されるという現象を引き起こしてきた原因でもあるように思われるのです。日本語教育という分野は、教育の専門分野の中でも後進的で、こういう状況が、外国語を母語とする人たちにマイナスな影響を及ぼすのです。

日本語教育は社会への窓口

なぜこんなに大げさに、外国語母語話者を被害者扱いするかのように書くか。
ここ最近、彼らにとっていたましい事件が目に余ります。
【事例】
収容外国人ハンストで死亡 入管施設で初、報告書公表
技能実習生に給料未払い・過重労働 複数社の処分検討
背景には、社会に未だ広く蔓延する「外国人」に対する差別的な目があるように思われてならないからです。そういう「外国人」を再生産するのは「教育」という窓口です。

日本語教育の担う責任はいっそう重くなる中で、現場での共通前提の無さを解決することは急務です。

共通の前提を作るためには例えば、「日本語教育能力検定試験」を必須資格とするなどの改革を行っていかなくてはなりません。キャリアサポートなども含めた教師の養成も必要ですが、現在の国からの予算では到底まかなうことはできません。

現在は教師ではありませんが、日本語教育の課題やその改革は、言葉を変えて表現を変えて書いていかなくてはなりません。

30代女性。3年程度日本語学校で日本語教師をしており、同時期に大学院で日本語教育についての研究も進めていました。現在は一児の母でフリーランスとして働いています。